派遣村について思うこと

日比谷から大移動し、生活保護の申請やらなんやらが始まった、いわゆる派遣村。ここにいる人たちについて、総務省の坂本政務官が「本当に働こうとしている人たちか」なんてことを言って問題視されているが、この発言に対し、実はこっそり共感しているような人も多いのではないかと思う。
年末に、他局の人やスポンサーにあたる企業の方とゴルフさせてもらったのだが、この時にある一人が、「『自由が欲しい』なんて言って正社員にならなかったくせに、契約が切れたら、非正規雇用の社員をクビにするな、なんて言うのは甘えてる」というような話をしていた人がいた。こういう発言を聞くと、なんだか嫌な気分になるが、世間一般のある程度の地位に就いている人たちは、多かれ少なかれこのような気持ちを持っているのではなかろうか。
ある程度の地位に就いて、きちんと仕事をしている人の多くは、おそらく「自らが今の地位を勝ち取ったのであって、それができなかった人は努力が足りなかったのだ」というような考えを持つ人が多いのではなかろうか。しかし、これは出来る者、強い者の発想であって、世の中そんなに出来る者、強い者ばかりではない。彼らは能力が高いゆえに、できない人がなぜ出来ないのか、わからないのではないか? したがって、弱者を、弱くて努力が足りない者たちと見ているのではないか?
私自身は、単なるラッキーでこの仕事に就いて正社員という地位に滑り込めたと思っているので、強者のメンタリティーがほとんどないのだが、こういった認識の違いというか、できる者とできない者の間に横たわるメンタル的な大いなる差が、坂本政務官の発言の背景にあるのではないかと、ふと思った。だいたい議員になっているような人の多くは、強い者の立場で生きてきた人だ。派遣村にいるような人の気持ちは、そうそうわからないのではないか。個人的にはそう思う。
確かに、正社員は一定の責任も伴うし、実際に正社員にはなりたくないという人が多い(私の周りでそんな人は見ないが…)のかもしれない。だが今考えるべきことは、そもそも世の中は、勝者となるレールに乗って生きていける人ばかりではないということで、そんな人を助けるのか助けないのかという社会保障の問題であると感じる。
社会的な問題としては、正社員になりたくてもなれないという人が多いことや、あまりにも弱くて安価な労働力の上に企業の繁栄が成り立っていることであり、そして、企業は効率をどうやって上げていくのか、社会的な責任をどう考えるのか、そういった根源的な事が問われていると思う。